会社案内

毛ばたきメーカーとして68周年!手造りを続けています。

 

社名   有限会社イーエスシーアイ

所在地  〒734-0013 広島市南区出島2丁目10番18号

電話番号 082-251-1436 ファックス 082-251-14 38

E-mail info@esci.co.jp

役員

代表取締役 宇野本 習(うのもと ならう)

取締役   宇野本 翼(うのもと つばさ)

◆取引先

(主な販売先)

マツダ株式会社 他自動車メーカー5社

日産トレーディング株式会社

株式会社オートバックスセブン

ミズノ株式会社

公益財団法人日本レクリエーション協会

 

◆沿革

昭和22年初代社長 宇野本 信が平和都市ヒロシマを象徴する独特のスポ ーツとしてエスキーテニスを開発。

昭和25年1月 広島市古田町に資本金240万でエスキー工業株式会社を 設立。

昭和34年4月初代他界により、前社長 宇野本 清が代表取締役に就任。

昭和36年5月毛ばたきが東洋工業株式会社(現マツダ株式会社)純正用品 に採用され、市価一段と高まる。

平成7年10月資本金300万で有限会社イーエスシーアイに組織変更。

平成24年7月 代表を53年間務めた前社長の他界により宇野本 習が代表取締役に就任。

 

◆主要製品

自動車用オーストリッチ毛ばたき(PDF)

自動車用鶏毛毛ばたき(PDF)

自動車塗装ライン用オーストリッチ製工業用ブラシ 替え羽根 (PDF)

お仏壇用毛払い(PDF)

お人形用毛払い

インテリア用フェザーダスター

販促用ミニダスター

ミニ毛ばたき

人口交配用受粉毛ばたき

エスキーテニス用具PDF

ダーツベースボール 用具 

津波対策 自動車の車体を利用した救命いかだ※PDFファイル(開発中)

終戦後ヒロシマで発祥したエスキーテニス

ルーツ

昭和20年8月6日、広島女学院中学の生徒であった宇野本(山崎)武子 は疎開作業に動員されていた広島一中横で被爆(爆心から1200m)。塀 の下敷きになったのが幸いし、生存者5人の中の1人であったが、やがて壮 絶な原爆症状が顕れた。武子は衰弱煩悶(はんもん)して『いったい私はど うしたらいいの?』と父・宇野本 信に問い掛けました。信は『武子、世界 平和のために犠牲になるのだよ』と諭すしかありませんでした。彼女は静か にうなずき、十分な医療も受けられないまま同年9月8日の夜誰も知らない 間に亡くなりました。 宇野本 信は娘の壮絶な死を無駄にしてはならないとの一心で平和運動に 関心をもち、中でもユネスコ精神『平和は人の心の中から築いてゆかなけれ ばならない』との考えに心をひかれました。その折、国立総合大学(現広島 大学)設立委員長であった長崎英造氏が、『平和運動はスポーツが重要な役 割をする。啓蒙運動翼賛のためユネスコ精神をとり入れた平和ゲームを案出 し、それに国立総合大学設立の陰で設立が断念された教育科学文化研究所 (Education Science Culture Institution)の略称ESCI(エスキー) の名をとどめるように』と、宇野本 信に依託されました。 そのため宇野本 信は一心不乱に、寝食を忘れスポーツ用具の開発に努め ました。当時の広島は物資に不自由する時代で、また、狭いところでも十分楽しめる もので無ければならないなどの制約の中で、板切れと魚網を利用したエスキ ーテニスが誕生いたしました。小さなコートで楽しめるよう、スポンジゴム ボールのスピードを押さえるために羽根をつけました。 その羽根の加工技術を応用して、後に自動車用毛ばたきの製造販売をする ことになり、昭和25年エスキー工業株式会社の設立に至りました。 (平成7年(有)イーエスシーアイに組織・社名を変更)

創業者宇野本 信の手記(原子爆弾によるヒロシマの惨状と、エス キーテニス誕生の経緯)

エスキーテニスの成立と普及(広島大学大学院 崎田研究員論文)

日本エスキーテニス連盟公式サイト

広島市東区新牛田公園内
『平和エスキーテニスコート』(エスキーテニス専用コート10面)